ビルやマンションの入り口で「定礎」と書かれている石を見かます。
先日、娘にこれは何かと聞かれまして。
みなさんはこの中に何が入っているかご存じでしょうか?
そんな「定礎」の雑学ですが、少しだけ読んでもらえるとうれしいです。
定礎とは
大きな建物の外側の壁には、「定礎」という文字と日付が刻まれています。
昔は建物を建てる際、礎石を据えてから建て始めていました。
これは柱などを直接土の上に建てると、害虫被害や湿気などによって腐食するおそれがあったため、一番最初に建物を建てる時には礎石を置くことからはじめていました。
この礎石を置く行為を定礎といいます。
ただ現代では柱などは金属製の素材を用いているため腐食する危険性もなくなり、定礎自体を行う必要がなくなったため礎石は使用していませんが、建物の設計図や定礎式を実施した日の新聞、雑誌、関係者の名簿など建物が完成した当時のことがわかるものや、どんな人が関わっていたかがわかるものなどが、定礎板の中には納められています。
近年定礎石は建物の南東隅や正面玄関の周辺におくのが一般的で、工事終了時に設置されるのが通例となっています。
定礎石の中には定礎箱があり、タイムカプセルのような役割を担っています。
ただ実際に中に入れるものは建築主と相談して決めていくのが基本ですから、必ずしも建築図面や定礎式が行われた日の新聞などが納められているとは限りません。
また実際のタイムカプセルとは異なり、定礎箱は一度入れてしまうと建物の寿命がつきるまではあけることができません。
定礎の儀式は7000年前からある
定礎は建物の土台となる礎石を定める定礎式によってもうけられるものですが、この文化はメソポタミア文明が起源といわれています。
近年の定礎式はある程度作業が進んでから行われることがほとんどとなっていますが、もともとは建物を建てる際に一番最初に礎石を置いていました。
日本には西洋の建築技術が伝わった時に定礎も同時に伝わってきましたが、その起源は古代メソポタミア文明までさかのぼることができます。
私たち人類は、約20万年前に東アフリカで生まれたとされ、よく知られている四大文明も、別々に生まれたのではなくメソポタミア文明が四方に広がっていったという説もあるほどです。
今から7000年も前のメソポタミア南部のウバイド文化には、すでに定礎埋蔵物と呼ばれるものがあったと確認されていますから、定礎の歴史は私たちが思っている以上に古いものだとわかります。
当時の定礎には、当時の王の功績を記念するものや建造物の浄め、魔除けなのの意図があり、定礎碑や黄金、宝石、銀などが定礎埋蔵物として埋納されていました。
メソポタミア文明で生まれた定礎式は、キリスト教でも行われるようになり、その後二品に伝わり神式で行われるように変化していきました。
定礎の中にあるもの
ビルなどの建物の土台部分には、定礎と書かれた石が埋め込まれています。
ほとんどの場合建物の南東に配置されることが多いこの定礎石は、文字通り建物の土台となる礎石を意味しています。
一見すると竣工した日付が刻まれているだけのように思いますが、実はこの定礎の中には定礎箱が埋め込まれていて、建物の設計図や当時の紙幣や通貨、定礎式当日の新聞、工事関係者の名簿などが保管され、タイムカプセルのような役割を果たしています。
ただタイムカプセルと異なる点としては、定礎箱をとりだすことができるのは、建物を取り壊すときで、いつでも中身を確認できるというものではありません。
定礎と一言でいってもいろいろな種類があり、基本は竣工日が刻まれているスタイルです。
そのほかにも、竣工日のほかに格言が刻まれたスタイルや、カラフルな彩色が施されたスタイルなど個性的なものも少なくありません。
近年建物の老朽化によって多くの古い建物が取り壊されていますから、定礎箱の中を見られるチャンスがあります。
ただ、残念ながら定礎箱をあけないまま解体されてしまうケースもありますから、一度も見られることなく無くなっていくものも少なくありません。
まとめ
・昔は建物を建てる際、礎石を据えてから建て始めていた。
・定礎は建物の土台となる礎石を定める定礎式、この文化はメソポタミア文明が起源といわれている。
・定礎の中には建物の設計図や当時の紙幣や通貨、定礎式当日の新聞、工事関係者の名簿などが保管されている。
定礎はあまりメディアに取り上げられることもありませんが、街の歴史を振り返るには良い機会となることでしょうね。