褒章(ほうしょう)は、日本の儀式の一つ。
社会や公共の福祉、文化などに役割りした者を褒めたたえるため、天皇から対象者に授与されます。
褒めたたえる対象となる偉業により、紅綬褒章、緑綬褒章、黄綬褒章、紫綬褒章、藍綬褒章、紺綬褒章の6種類が定められています。
紅綬褒章
紅綬褒章は人命救助に尽くすことで授与される賞で、1882年に青森県の海岸で暴風波浪により難破した漁船乗組員を救助した工藤仁次郎が受章第1号ですが、戦後は年々受章者が減少していた。
その後、2003年に栄典制度改正に伴い、受章機会の拡大が行われました。
2004年春には16年ぶりに3名に授与され、翌年には春の褒章では落水車からの人命救助により15歳の少年に、秋にはJR福知山線脱線事故で救助活動に当たった日本スピンドル製造や二次災害を防いだ主婦に贈られました。
2011年秋には川で溺れていた男児を協力して救助した13歳の少年に贈られ、最年少の受章者が誕生しています。
緑綬褒章
緑綬褒章は自ら進んで社会に奉仕する活動に従事し徳行顕著なる者に授与されると定義され、1882年に青森県で数十年にわたり母へ孝養を尽くした外崎専四郎が受章の第1号です。
1950年12月25日の受章を最後に一旦途絶え、1955年には栄典制度が改正されて実業に精励し―の部分が黄綬褒章としています。
2004年に社会福祉分野やボランティア活動等で実績がある個人に与えられ、半世紀ぶりに26名に授与されました。
2008年には杉良太郎が芸能人で初めて長年の受刑者更生支援等奉仕者として受賞し、その後も紫綬褒章を受賞しました。
黄綬褒章
黄綬褒章は農業、商業、工業等の業務に精励し、他の模範となるような技術や事績を有する方に与えられ、受賞の第1号は1955年に長年にわたり水稲農作技術の向上に努力した北海道の天崎正太郎です。
その後は毎年500人から600人が受賞し、2003年には第一線で業務に精励している者で他の模範となるような技術や事績を有する者を対象とし、受章者数が増えました。
旧黄綬褒章は1887年に始まった防海費献納運動に応じて私財を献納した者への賞与で、褒章の授与は願い出た上で献納を済ませた者から順に行われ1894年の荻野六郎が最後になるまで金章が54名、銀章が572名、合計626名へ授与されました。
紫綬褒章
紫綬褒章は科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術文化分野における優れた業績を挙げた方が授与対象で、1955年に褒章条例の改正によって制定されました。
2002年の栄典改革から50歳以上の年齢制限を撤廃し、学技術分野における発明や発見、学術及びスポーツ、芸術分野における優れた業績等に対し速やかに表彰するとされました。
それまで50歳以上とされていた年齢制限が撤廃されて、4月29日と11月3日の2回発令され、学術、芸術、スポーツ分野の功労者に毎年授与されて受章者は伝達式に合わせて皇居で天皇に拝謁します。
藍綬褒章
藍綬褒章は会社経営や各種団体での活動等を通じて産業の振興、社会福祉の増進等に優れた業績を挙げた方または、国や地方公共団体から依頼されて行われる公共の事務に尽力した方に与えられます。
受章第1号と第2号は同時に1882年に行われ、灌漑用水を開通させて荒野を農地に変えて村民生活の向上に貢献した大阪府の石田長蔵と久保田伊平が選ばれました。
戦後は毎年600人から1000人が受賞しましたが、2003年に栄典制度改正が行われました。
そこでは、公衆の利益を興した者に対する選考に当たって他の模範となるような優れた業績が認められる者を対象とすることや、従来公同の事務とされている分野について運用の見直しを行って対象との関係を整理されました。
紺綬褒章
紺綬褒章は公益のため私財を寄附した方に贈られ、1918年に制定されて翌年に恩賜財団済生会に現在の価値で1億5千万円相当の寄付した小野光景が受章第1号でした。
この褒賞は他の種類のように受章機会が春秋のみに限られず、事由の発生に合わせて毎月末にまとめられ閣議で決定され発令されています。
このため、同一人物が複数回受賞することも可能であり、叙勲・褒章などの受章回数でギネス記録に認定された古賀常次郎は60回以上受賞していますが、返礼品の類を受け取った場合は対象とならないなど条件があります。
また、寄付が1500万円以上の寄付者になど多額に上る場合には、桐紋付きの木盃が授与されます。
おわりに
「社会や公共の福祉、文化などに役割りした者・・・」
わたしには、あまり関係なさそうなお話でした。