マリコのMD
私が中学生の頃でした。
まだ、学生らしいマッシュルームカットの初々しい子供に過ぎなかった頃です。
私にはマリコという仲良しのクラスメートがいました。セミロングのクールな印象で、あか抜けていて、英語が得意な、大人びた女の子でした。
よく学校に一緒に登校し、お昼を一緒に食べて、他愛のない会話を楽しむ、そんなありふれた友人同士でした。
その日も、私は大通りの四つ辻でマリコと待ち合わせ、梅雨の中休みの六月の朝日の中、学校に向かいました。
「MD録ってくれた?」
「ほら、ちゃんとダビングしといたよ」
当時はMDが普及し始め、みんなこぞって家電量販店などに見に行ったものですが、高額なMDラジカセはなかなか買えたものではなく、一部の生徒だけが持っていたものです。
公務員の家庭に生まれたマリコは、そのMDラジカセを持っていたので、私はいつもダビングを頼み、廉価の再生専用MDポータブルプレーヤーで聴いてました。
流行のバンドの曲の入ったMDを受け取り、私は道ではしゃいでいました。
「ありがとう、マリコ!さすが友人!」
「りさ子ったら単純」
道で二人笑い転げました。
「いつまでも、そんな無邪気なりさ子でいてね」
突然顔を曇らせてマリコが言いました。
「どうしたの、そんな深刻な顔をして」
「ううん、りさ子はその自然なままでいいのよ」
「ええっ!?」
突然真顔で語るマリコに驚きながら、私は意表を突かれて苦笑いしていました。
「りさ子、学校遅れるよ」
マリコが急かしました。
「いけない、急がなきゃ!」
私たちは駆け足で学校に向かいました。
日直だった私は、学校に着くと職員室に日誌を取りに向かいました。
「私はここで、また後でね、りさ子」
マリコは手を振って階段を上がっていきました。
私は一階の廊下を進み、職員室と書かれた部屋の扉を開けました。
「おはようございます、佐伯先生」
「りさ子さん、おはよう」
科学を教えている佐伯先生がにこりと微笑みました。
「今日は実習の先生も見えますからよろしくお願いします」
「あ、わかりました」
私はカバンとMDをデスクの上に置いて、日直の日誌を受け取りました。
「あら、MD?」
「はい、マリコにダビングしてもらったんです。人気バンドの『クエーサー』の曲です」
突然、バタンという音がして、びっくりして顔をあげました。
佐伯先生の顔色がおかしくなっていました。
引きつって、ワナワナと震えて。
佐伯先生だけでなく、他の先生も、生徒も、教頭先生まで引きつっていました。
「マリコちゃん?」
「あなた、マリコちゃんと学校に来たの?」
「はい、さっき階段をあがっていきましたよ」
「なんでマリコが生きてるんだよ!」
「え!?」
「りさ子さん、本当にわからないの?マリコさんはおととい帰宅の路で車に跳ねられて」
「車?」
「亡くなったはずじゃないか!」
「違う!」
私は絶叫しました。
だって、マリコは今朝、いつもの待ち合わせ場所で会い、一緒に並んで歩き、一緒に学校に向かい、こうしてMDも受け取り。
「なんでMDがあるんだよ!」
「きゃー!」
恐怖におののいた絶叫が職員室に響きました。
「じゃあ、私は誰と歩いてきたの」
急にひざの力が抜けて、私は立っているのがやっとでした。
私の幻覚ならば、それで話は収まるのかもしれません。
しかし、マリコから受け取ったMDがあります。
そして、そのMDには、
「『クエーサー』って字、マリコの字だ!」
私は目がくらみ、そのまま意識が遠のいていきました。
初夏の、梅雨の雨の湿気を含み、つんと匂いがする夏草の匂いが、私の鼻を刺激していました。
何かを忘れている。目を閉じたまま、私は草の匂いを嗅ぎながら、頭を揺らして意識を取り戻さないと、と、必死で思考を巡らせていました。
なんだっけ?私は何を意識が遠のいたんだっけ?
「りさ子、しっかり!」
「マリコ?どうしちゃったんだろう、私意識を失って」
「りさ子に話さないとね」
「マリコ、そういえば私職員室で」
「わかってる。聞いたよね、私の事」
「マリコ、そうだ、佐伯先生がマリコは交通事故で死んだって」
「そうだよりさ子。酔っ払い運転の車だったんだ。気がつく間も無く、突然ぶつかって」
「マリコ死んだの?」
「見ちゃだめよ、私の肢体がばらばらに引きちぎられて」
「マリコ?」
「跳ねられたあと、もう、生きてはいない私は必死だったんだ。りさ子にMDダビングしてあげなくちゃ。約束だったんだからって」
「マリコ、死んで最初に私を思っていてくれたの?」
「親友だぞ、りさ子!」
急な涙がこみ上げてきました。
「マリコ、マリコはもういなくなっちゃったの?」
「りさ子、私はもうりさ子とは違う世界にいる。長くはこうして話してられないんだ」
「やだよー!」
私は目を閉じたまま絶叫し、号泣しました。
「りさ子、泣かないで。マリコはずっとりさ子を思っているよ。大の親友だよ。りさ子はこの世界で生きられるだけ精いっぱい生きなきゃダメなんだよ!」
「マリコ!マリコがいないと辛いよ!」
「りさ子、もう、私呼ばれてるんだ。死後の世界の案内人に。早く話を済ませて来なさい。悲しみに包まれた君はこれから浄化されなきゃいけないんだよって」
「マリコ、こんな急にマリコがいなくなるなんて、私受け入れられないよ」
「ごめん、りさ子。あの酔っ払いのドライバーが原因だったけど、こうなっちゃったんだ」
「マリコ!」
「り、さ、子」
マリコの声が、遠のいていきます。
「いかないでマリコ!」
雨に濡れた草の匂いが立ち消え、私は静かにベッドに横たわっているのに気づきました。
消毒液の匂いがツンとします。
「りさ子さん、ここは保健室よ」
保険の先生の静かな声が聞こえました。
全てを知り、急に嗚咽が込み上げてきました。
「りさ子さん」
「先生、マリコは、自分が悲しい目に遭ったのに、私を思って来てくれたんだ」
「そうね、MDあるよ」
「マリコ!」
私は目をあけて、ベッドの横のテーブルの上のMDを見ました。りさ子へ、そうマリコの字で書いてありました。
「先生、聴きたい。カバン取って、プレーヤー出す」
「わかった」
保険の先生が手提げカバンを渡してくれました。
プレーヤーの蓋をぱかっと開けて、MDを挿入。
自動で演奏が始まるので、イヤホンを耳に入れました。
『生きろよ!生きろ!俺たちはみんな生きていくもの!』
聞こえてくる音楽。しかし、
「あれ?これ『クエーサー』じゃない!」
「え!?」
「これはどこのバンド?知らないバンド!」
『負けるなりさ子!唯一無二のはらからよ!生きろ!生きろ!泣くな!前を向いて歩け!』
「これは、マリコが作ってくれた私だけの曲?」
ハードなギターに合わせて、マリコの私へのメッセージが歌われていました。
「マリコー!」
私は絶叫しましたが、マリコの想いをしっかりと受け止めなければと心に誓ってました。
今、私は首都の大学の付属病院で女医をしています。
マリコの事が、私に命の尊さを教えてくれました。
この世界で、日々命が失われていく中で、救える命を一つでも救いたい。
私はそう思い、必死で勉強して医者になりました。
今日も、マイクを通じて訪れた患者さんの名前を呼んで診察室に入れます。
みんな、それぞれの不安を抱えて訪れてます。
救われるものは救う。その為に私は頑張ります。
新しいカルテが渡されました。新しい患者です。
「瀬戸さん5番にお入り下さい」
ドアが開いて、セミロングの、スマートな女性が入ってきました。
見覚えのある面影。
「マリコ!」
「来たよ、りさ子、頑張ってるじゃん!」
「会いたかったよマリコ!」
私はマリコの体をぎゅっと抱きしめました。
あの懐かしいマリコの体を。