誰もいないはずの体育館で、バスケットボールを片付ける・・・
その日は、教室で一人居残り試験後の復習をしていて、気が付いた時にはもう日が暮れてかけていました。
最終下校のチャイムを聞きながら慌てて机の上を片付けて、小走りで校門へ向かうと、視界の端に明かりが見えました。
試験期間中である今日はまだ、部活動はないはずで、だから明りの付いた体育館に私は首を傾げました。
誰か、運動部の生徒が勝手に使用しているのかもしれません。
部活動が禁じられている試験期間中にそんなことをする運動部の知り合いはいないし、知らない生徒にむやみに注意するのもあまり気が進まないと思うのに、なぜか私の足は体育館へ向かっていました。
近づくにつれ、ボールの弾む音が聞こえてきます。バスケ部でしょうか。
バレー部かもしれません。
頭の中でクラスメイトの顔を思い浮かべて、ああ確かバスケ部の部長をしている男子がいたなと考えていました。
彼のクラスメイトということで、注意しても穏便に済めばいいと思いながら、私は重い扉に手を伸ばしました。
思えば、その時聞こえていたボールの音は、異様なほど大きかった気がします。
まるで、私のすぐ隣でボールを力強く床に叩きつけているような音でした。
けれど私はそのことに全く気が付かず、扉を開けました。
しんとした体育館の床には、いくつものバスケットボールが転がっていました。
扉を開ける直前まで聞こえていたはずの音は止み、ボールをついていた人の姿も見えません。
奥に見える倉庫の扉が少しだけ開いていて、その扉の前にボールを収納する籠が出ているのが見えました。
先ほどまでいたはずの誰かはどこへ行ったのか、不思議に思いつつも、私は床一面に転がった無数のボールと籠とを見比べました。
最終下校のチャイムなどとうに鳴りやんでいて、もたもたしていたら校門も閉められてしまうでしょう。
けれど、こんなにも散らかったボールを無視して帰るのも気が進みません。
電気がついているのだから、誰か見回りの先生か警備の人が気が付いて来てくれるかもしれない。
そしたら事情を話して、門を開けてもらって帰ろう。そう思って、私は自分のすぐ足元に転がっているボールをまず手に取りました。
バスケットボールなど体育の授業ぐらいでしか手にしませんし、女の腕ではせいぜい二個しか抱えられません。
扉の近くに鞄を置いて、二つのボールを抱えた私は籠へボールを入れに、倉庫へ近づきました。
もしかしたら、勝手に体育館を使用していたことを咎められるかもと思った誰かが、倉庫に隠れていたりするかもしれない。
そう思って倉庫の中を少し覗きましたが、倉庫はいつものように埃っぽく、人がいるようには見えませんでした。
「変なの」
思わず開いた口を閉じて、持っていたままのボールを籠へ入れました。
床に転がったボールと、倉庫近くにある籠。籠にはキャスターが付いているとはいえ、古いそれは動きがいいとは言えず、ボールを入れるにつれ重くなるだろう籠を押して回収に体育館をうろうろするのと、一つ一つボールを拾っては籠へ戻るのと、どちらが早いのだろうとため息をつきました。
けれど始めたからには、最後までやり遂げたかったのです。せめて誰か先生か、警備の人が顔を見せるまでは頑張ろうと、私は籠の近くにあるボールから拾っていくことにしました。
いくつのボールを入れたのか、地道ながら体力を使う作業に汗がうっすらにじんできたことを感じました。
おでこを拭って、着たままだったコートとマフラーを脱ぎます。倉庫の扉近くにそれを畳んで置き、私は体育館を見回すように振り返りました。拾ったボールは、籠の中にあります。
その籠の残りの容量は、およそ半分ぐらいです。
「・・・あれ?」
いまだ転がっているボールが随分と多く見えました。こんなに籠に入るのでしょうか。
そもそも、こんなにバスケットボールがこの学校にあったのでしょうか。
いえ、もしかしたら私が知らないだけで、倉庫の奥にしまってあった物なのかもしれません。
バスケ部だけが使う備品という可能性だってあります。けれど、やはりこの籠にすべてのボールが収まるとは思えませんでした。
倉庫の中に、空いている籠がもう一つくらいあるのかもしれません。
そう思って、私は改めて倉庫へ入りました。体育館から漏れてくる灯りを頼りに、倉庫の中を見回します。バレーボールが入った籠や、バドミントンのラケット、各種競技のネット・・・二往復くらい視線を巡らせて、空いた籠がないということをやっと認識しました。
倉庫を出て、変わらず転がっているボールを見ます。
その時、私はやっと今の状況が異様に思えてきたのです。
このままボールの回収を投げ出して、コートと鞄を持って帰ったっていいのかもしれません。
そもそもここを散らかしたのは私ではなく、他の誰かなのですから、遅くまで残って片づけをする義務は、私にはないはずです。
その「他の誰か」も、助力を期待していた先生方の姿も見えないことに気が付かないふりをしながら、私は帰るかどうかしばし迷って、また一つ、ボールを拾いました。
バスケットボールはどこか独特の匂いがして、授業の後もしばらくは手からバスケットボールの匂いがする気がする、と、体育が嫌いな友人の声を思い出しながら、一つ、また一つと籠へ入れていきます。
頼まれてもいないのに手を出してしまう、そんなところがいい所であり悪い所でもある「いい子ちゃん」だと私に言った、口の悪い友人の声を思い出しながら、一つ、また一つ、と。
ふいに、妙な匂いが鼻をかすめました。嗅いだことがないのに、不快な匂いだと感じるその匂いがどこからやってくるのか、私はボールを手に持ったまま、辺りを見回しました。
電気がついておらず暗い舞台の上と、明るくボールの散らばったフィールドの差が妙な雰囲気を演出しているように思えて、私の心臓が大きく跳ねました。ドクドクと鳴る心臓を抑えながら、早く帰ろうと、手に持っていたボールを籠へ入れました。
その時、先ほど感じた匂いが、非常に強く感じました。
ツンと鼻につくような、なにかが焦げているような、生ごみを捨てる時のような…その匂いの形容をしようとして、普段感じる様々な匂いに当てはめようとしましたが、どれもしっくりきませんでした。
先ほど入れたばかりのボールで、もう籠がいっぱいになっていました。
まだ転がっているボールたちは、どこにしまえばいいのでしょう。この籠の上に、積み上げていけばいいのでしょうか。自分でもばからしいと思いながら、あと一つくらいは入るかもと、ボールを持ち上げました。
何か、先ほどまで持っていたボールとは、感触が少し違いました。
見下ろして、私は思わず手を放しました。落ちたそれは弾むことなく、ガシャ、と音を立てました。喉が詰まったように、私は音にならない悲鳴を口の中に響かせました。
私が床に落とした頭蓋骨は、目があったくぼみを私に向けて、カタ、と顎を動かしました。