図書室にのこした後輩への温もり

図書室にのこした後輩への温もり

今は3年生になって、大学受験に向けて勉強中の私が、今でも時々思い出す不気味でちょっと不思議な体験を今日はお話します。

私は子どもの頃からちょっと不思議な子でした。

小学生の頃、こっくりさんとかやっちゃいけないと分かっていても、好奇心でやってみたい事って皆さんありますよね?

今思えば私の友達もちょっと変わった子が多かったのかもしれません。

私と親友3人の間で一時期ものすごく流行った遊びがありました。

それは「催眠術」遊びです。

誰が言いだしたのか、ある時友人の一人がいつもの遊びの帰り、まだ親が帰ってきていないからと団地まで来たものの、私の棟の横で「面白い遊びがある」と言い出しました。

その子は私に「目をつぶって」と言うので、私はおとなしく目をつぶると、良いって言うまで目を開けないでねと言われ、5分くらいだったでしょうか。

何かのおまじないのような事をして、時折私の手を取っては何かをします。

最後に沈黙が続くと、友達がため息をつき「あーダメだったわぁ」と言いました。

どうやら私は催眠術にかかりにくいようで、でも言ってしまうと最後にかかっているかをチェックする動きがあり、それを試す前にネタ晴らしをしてしまうと、自力で動かしているか分からなくなるので秘密にしていたようでした。

その子は順番に他の親友にもかけて行ったので、私はそれを見ていると、かなりの手順にもかかわらずすっと覚えてしまいました。

最後の一人になり、私が「私がやってみたい」と言って、見様見真似の手順でやってみると深くかかったのです。

簡単に言えば、手順の通りにかけると、私が見えない紐でその子の腕を操れるというもの。

最後に見えない紐を引っ張ると、その子の腕があがり、深くかかると紐を引けば引くほど前に倒れるほど。

私は、友人が倒れ掛かってくるのを不思議な気持ちで見ていました。

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父は国家公務員。

エリートではないからなのか、勤める省庁の問題か分かりませんが、約3年に1度転勤があり、そのたびに家族全員が付き合わされました。

住む場所は相変わらずの集合団地ですが、住む地方も変わり、学校も変わり、方言が変わり、教科書が変わり・・・。

私は、格別友人が欲しかったわけではないけれど、行く先々でいじめられていました。

小学2年生が終わり、3年以降もみんなと遊べるんだと思っていた矢先、母から引っ越しを告げられました。

深い意味は分からなかったけど、学校が変わる事、準備をしなければならないこと、友達と別れることは分かりました。

転校した小学校では友達がいないし、いじめられて貝のように口を開かない日々が続いたので、不思議ちゃんの能力はお披露目する機会がありませんでした。

そんな私の唯一の楽しみは、登校中にみる公立高校の校舎と前庭の風景。

はかま姿にきりりと髪をアップにした女性が、弓を引き、放たれた矢が的に当たると「あたーりー」と部員が言う。

そんな、日本美が好きだった私は「もう転校はないだろう」と子供心にこの公立高校に入学し、弓道部に入ると決めていました。

そんなある日の下校中、いつものようにフェンスにかじりついて弓道部の練習を見ていた私はふと視線を感じました。

視線の主を探すと高校の校舎の3階。

ベランダのようなところに両腕を乗せて、頬杖をついて弓道部を見ている綺麗な人がいた。

この高校の人なのかな?と小学生の私には分からなかったけど、女子でも憧れるほど綺麗な人だった。

それからは、多ければ2日に1回は一緒に弓道部を見学する日々。

私はこの高校に入ったら会いたいと、もう一つこの高校に入る理由が出来ました。

中学に入学すると家を中心にして、小学校とは正反対の方向。

あんなに毎日の日課だったことが、高校も見れず、弓道部も見れず、あの綺麗な先輩にも会えない日々・・・。

忘れた日は片時もないけど、部活に塾にと小学校とはまるで違う生活。

逢いたくても行きたくても行けませんでした。

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そんな日々が2年経つ頃、帰宅した母から信じられない一言。

「お父さんの転勤が決まったから、あんたには悪いけど受験生で転校になる。」と。

母は昔から完璧主義で、心配性で、あれこれ考えすぎては爆発し、取り乱して機嫌が悪くなると止められない。

私と姉を何度殴り、蹴り、ストーブで焼き、雑木林に裸で放置し、物置に閉じ込めてきたか。

このころには、私は母の顔色を窺い、機嫌がいい状態をなるべく保ってもらえるようにだけを考えて生きてるロボットのようでした。

だから、転校で私たちが泣いたりすると、母は余計なことを考えてしまうので、私は極めてどうでもいいことのように「そうなんだ」とだけ言って部屋へ急ぎました。

タオルを加えて窓を開け、泣きました。

塾のおかげか努力か分からないけど、中学に入ってから私の成績は地域でもトップクラスで、学年ではトップでした。

転校したって、授業が遅れていたって私はどんな高校も大抵は合格判定。

そんなことはどうでもよかった。

いじめられているし学校にも未練はなかった。

ただ、あの高校に行けないこと。

そしてあの名前も知らない綺麗な先輩に逢えなくなることが決定したことに、驚くほど悲しみが込み上げた。

私は物心ついた時から母の躾がそんな感じだったので、門限は無くてもまっすぐ帰ったし、塾もさぼったことはなかったし、学校も病気以外で休むことはなかった。

勿論、帰宅してから外出するなんてもってのほか。

でも、その日はどうしても行きたくなった、あの高校に。

いつもは夕方練習する弓道部。

もう日が落ちて夜の時間。

いるわけはないし、あの先輩だっているわけはない。

でも、登校最終日はもう少し先だったけど、『今しかない』
なぜかそんな気がした。

母が寝たのを確認し、私は静かに玄関の扉を開ける。

私は2年ぶりに小学校へ向かう通学路を歩きました。

転校してきてから4年間も通った道。

暗くてもわかる自分に何だかふわふわした気持ちを抱えながら、高校に向かいます。

完全下校時間も過ぎている時間。

生徒なんて誰もいないって頭ではわかっているのに、心の中では確信に似たものがあった。

「あの人がいる」

中学生だから当たり前だけど、小学生の頃にはあんなに遠く感じた道のりがあっという間。

校舎の前に着いた私の目に映ったのは消灯を終えた真っ暗な校舎。

がっかりしながらも私は正門のちょっと右、弓道場が見えるところに向かいます。

小学生の頃、フェンスにかじりつくようにしてみていたあの場所。

緊張か期待か分からないけど、胸がどきどきする音まで聞こえる。

いつものあの場所に行くと

いた!

真っ暗な校舎なのに、その先輩がいる教室なのか先輩に後光がさしているのかよくわからないけど、あの先輩がいるところだけがぼうっと光っていました。

弓道部はいないのに、先輩は制服でいつものように軽く頬杖をついていました。

何も変わらない。

2年経ったことと、今が深夜だということ以外。

私が先輩の方を眺めていると、先輩は綺麗な笑顔でこちらに手を振ってくれました。

私は驚いて、あたりを見回すと誰もいない。

私に手を振ってくれていました。

先輩は何も言わずに私に手招きをします。

真面目で優等生の私にとっては夜中の外出自体が大事件なのに・・・。

でもこれが最後かもしれない。

私は高くて乗り越えられそうにない正門ではなく、比較的背の低いフェンスを上り校舎に侵入しました。

真っ暗で入ったこともない校舎なのに、こっちだと先輩のいるところは分かりました。

真っ暗な校舎の中で、ぼうっと明るいその教室はすぐに分かりました。

はやる気持ちを抑えて私は教室の前に急ぐと、そこには「図書室」の文字。

一瞬だけ、本当に一瞬だけ教室の扉を開けるのを躊躇したのをはっきりと覚えています。

でも次の瞬間、私の手は扉を開けていました。

いつも外から見上げていた先輩。

流れるような黒くて長い髪の綺麗な先輩。

扉を開けるとそこには先輩がこちらを向いていました。

近くで見ると夜のせいか先輩の肌がより一層白く見え、外から見ていたよりももっとほっそりしている先輩がいました。

その先輩はどこにでもいる綺麗な女子高生でした。

ただ一点を除いては。

そう、先輩には腰から下がありませんでした。

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頬杖をついていた腕を後ろに伸ばし、いつもとは反対の方向を向くことでベランダの手すりに掴まるのが大変そうでした

私は喜びから一転、恐怖で足がすくみ金縛りにあったように一歩も動けずにいました。

すると先輩が

「やっと会えたね」

というのが聞こえました。

確かに先輩の声だったと思います。

初めて聞くけど、か弱くて、透き通るような耳の心地よい不思議な声でした。

どのくらいの時間が経ったか分かりません。

先輩はその言葉を私に笑顔で伝えると、校舎は真っ暗になりもう姿がありませんでした。

金縛りがとけたようにその場に崩れ落ちる私。

しばらくして動けるようになる事を確認してから家に帰りました。

次の日、私は初めて部活を嘘をついて休み急いで帰りました。

塾までの間に確認したかったからです。

自転車で中学校からの帰り、自宅前を通り過ぎて高校に向かいます。

校舎が見えると「あたーりー」という懐かしいあの声が聞こえてきました。

私は昨日も2年前もかじりついていたフェンスの前に行き、図書館を見上げるとそこには先輩の姿はありません。

私は思い切って弓道を練習している先輩に「図書室からいつも見ていた綺麗な先輩は・・」と声をかけると不思議そうな顔で見られました。

大半の人が無視する中で、一人だけが急ぎ足で寄ってくると「そんな人はいないよ」とだけ答えて去っていきました。

それ以上何を確認することもできず、転校した私は自宅からは通えない遠い私立の高校に合格し、自宅を出て下宿をしながら通いました。

1年の夏休みに帰省すると、連絡がまめな姉が前の学校の友達に会いに行くことを計画しており、私を誘いました。

学校と部活ではいじめられていた私にも、塾で知り合った同じ小学校出身の友達がいたので、久しぶりに会いたいと私もついていくことにしました。

現地で姉と別れて私は友人と約束していた場所へ。

カフェで人気のオムライスを食べながら、「今だから聞けるんだけど」とあの先輩のことを切り出しました。

その友人は、同じ中学に通っていて、あの高校に進学していました。

すると、友人は学校にまつわる怪談として話をしてくれました。

あの先輩は入学当初から美人で大変モテたそう。

弓道部に憧れて入学したので仮入部をしたのですが、難病を抱えていたので親と先生の反対にあい、その願いはかなわなかった。

先輩は体調のいい日は、授業が終わると大好きな弓道部が見える図書館で勉強をし、合間にベランダに出て弓道部の練習を見ていたんだそう。

先輩が2年の頃、おんぼろのトタン屋根しかなかった最寄り駅に、駅直結型のマンションが経ち、先輩の親御さんは先輩の通院や生活のことを考えてそのマンションに移り住んだそうです。

それからすぐのこと、先輩は通院のために電車に乗ろうとホームで待っていると突き飛ばされたのか、先輩が体調が悪くよろめいたのかは分からないけど、ホームに落ちてしまい電車にはねられて亡くなったとのこと。

困ったことに遺体のうち、上半身が見つからず捜索に難航し、電車がその日は運休になってしまいました。

ところが、その日の夜中になり急展開。

先輩の上半身は、駅直結型のマンションの一室、そのベランダに張り付いていたそう。

その部屋の住人が一人暮らしのサラリーマンで、仕事を終えて遅く帰宅するとベランダに何かが。

電気をつけて腰を抜かしたそう。

それはそうでしょうね。

人間の上半身がベランダでお出迎えとは、忘れたくても忘れられない経験でしょう。

その方が警察に連絡し、無事遺体は揃ったのですが、故意なのか事故なのかが分からず、先輩の葬儀だけが終了したとのことでした。

私はあの日見た光景の全てがその話と一致するのを感じ、恐怖ではなく、かといってなんと表現してよいのか分からない感情で震え、気づくと涙が頬を伝っていました。

友人はそっと抱きしめてくれましたが、今でもあの経験は鮮明に残っています。

ここからは想像でしかありませんが、弓道に憧れている私を見守ってくれていた先輩は、途中で私に逢えなくなり心配をして現世にとどまってくれていたのではないか。

そしてあの日、私のさようならを知って会ってくれたのだと・・・

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