昭和の半ばまで、家庭での軽い傷の手当といえば赤チンでした。
最近では見かけなくなってしまいましたね。
そんな「赤チン」の雑学のお話です。
なぜ赤チンと呼ばれているの?
赤チンの名前の由来は傷口に塗ると赤色になるからで、消毒薬として昭和世代にはなじみが深いです。
正式名称はマーキュロクロム液で、家庭や学校の常備薬の定番として使われてきました。
しかし、含まれる水銀が原因で水俣病になるなどトラブルが発生し、1973年より原料の国内生産が終了して出回ること自体少なくなりました。
三栄製薬は長年製造に携わっており、原料の国内生産が終了すると海外から輸入して続けてきました。
しかし、2020年末に国内で唯一のメーカーである三栄製薬が生産をやめることを明らかにしたため、実際に見れる時期も1年あまりになっています。
代わりになる消毒薬は1971年に無色透明のマキロンが登場し、その後は赤チンの売上が落ちる一方で製造をやめた業者も急増しました。
しかし、傷口に塗ると赤くなることで根強いファンもいることは事実で、生産をやめることが発表されると作り続けてほしいという要望が多数寄せられたものです。
なぜ製造中止なるの?
赤チンことマーキュロクロム液は水銀が含まれているため、2019年5月31日をもって日本薬局方から削除されてしまいました。
「水銀による環境の汚染の防止に関する法律」が定められ、この影響で2020年12月限りで国内の製造が規制される予定です。
最盛期の時期は100社程度が生産に携わっていましたが、現在では三栄製薬のみになり手に入れることが難しくなりました。
製造中止に至った背景はマキロンで消毒薬としての代わりができ、なおかつ原料の国内生産が打ち切られたことや水銀による健康問題などです。
消毒薬は傷口に塗るため水銀による影響を受けると無意味になり、現在ではマキロンが代わりに出回っています。
三栄製薬は最後の赤チンの製造メーカーになりますが、昭和時代には常備薬として使用されるなどその世代にはなじみが深いです。
製造中止に至った要因は健康問題や原料の入手が難しいことで、安全性や時代の流れと考えると理解できます。
Twitterなどで懐かしむ声も
赤チンに関する情報はTwitterなどでも拡散され、まだ売っていたことや昔の思い出などを振り返る内容のものもあります。
愛用者は昭和の世代を中心に多く、三栄製薬はそのために製造をギリギリまで続けることにしました。
「幼少の頃の膝が赤チン色に染まっていた」「ABCの替え歌懐かしい」など当時を思い起こす内容もあり、時代の流れとともに消えゆくものとして注目されたものです。
Twitterは短い文章でも赤チンの愛用者が多くいることが証明され、三栄製薬は1953年に創業して65年以上になりますが最盛期の1965年には月10万本を売り上げた実績があります。
現在ではパッケージから日本薬局方の表記を外してリニューアルして販売され、2020年いっぱいまで原料がある限り製造し続けることを発表しています。
おわりに
Twitterでのつぶやきは三栄製薬が製造をギリギリまで続けることを決意させ、昭和の世代から親しまれてきたものであると実感できるものですね。